黙示録4章
4:1 その後、私は見た。すると見よ、開かれた門が天にあった。そして、ラッパのような音で私に語りかけるのが聞こえた、あの最初の声が言った。「ここに上れ。この後必ず起こることを、あなたに示そう。」
天の門は、天の支配権を表しています。そこは、開かれていました。神の御傍に近づく道が開かれていることを表しています。
黙示録
11:15 第七の御使いがラッパを吹いた。すると大きな声が天に起こって、こう言った。「この世の王国は、私たちの主と、そのキリストのものとなった。主は世々限りなく支配される。」
11:16 すると、神の御前で自分たちの座に着いていた二十四人の長老たちが、ひれ伏し、神を礼拝して言った。
11:17 「私たちはあなたに感謝します。今おられ、昔おられた全能者、神である主よ。あなたは偉大な力を働かせて、王となられました。
11:18 諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒りが来ました。死者がさばかれる時、あなたのしもべである預言者たちと聖徒たち、御名を恐れる者たち、小さい者にも大きい者にも報いが与えられる時、地を滅ぼす者たちが滅ぼされる時です。」
11:19 それから、天にある神の神殿が開かれ、神の契約の箱が神殿の中に見えた。すると稲妻がひらめき、雷鳴がとどろき、地震が起こり、大粒の雹が降った。
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神の裁きが現される時、その裁きは、契約に基づくものであることを明確に示すために、契約の箱が示されました。今までは、神殿は閉ざされていて、契約の箱を直接見ることは叶いませんでした。しかし、神の前には、契約と贖いがあることは確かな事実でした。それは、信仰によって受け取るものです。この最後の裁きのときには、契約と贖いが示され、それを受け入れなかった者たちに対する裁きが行われるのです。彼らは、示されてきたことを受け入れないので裁かれるのです。
19:11 また私は、天が開かれているのを見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている方は「確かで真実な方」と呼ばれ、義をもってさばき、戦いをされる。
天が開かれていたことは、最後の直接的な裁きの実行と関係しています。それは、天の栄光は、もはや人から閉ざされてはいないということです。神の権威や栄光が隠されることなく現されることを示しています。
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その声は言いました。この後必ず起こることを示そう、と。
4:2 たちまち私は御霊に捕らえられた。すると見よ。天に御座があり、その御座に着いている方がおられた。
4:3 その方は碧玉や赤めのうのように見え、御座の周りには、エメラルドのように見える虹があった。
御座に着いておられる方について、その栄光が宝石として示されています。
碧玉は、ベニヤミンと結び付けられていて、「右手の子」という意味です。これは、神の御心をそのまま実現する力を表しています。御座は父の御座であり、直接的には、父の栄光なのですが、御子をとおして栄光を現されます。そして、それが神の栄光になっています。この方は、人となられて、父の御心を行い実現することで、独り子の御子の栄光を現されたのです。十字架の死をもってこの上ない栄光を現されたのです。父は、その御子を右の座に引き上げ、それにふさわしい誉れを与えられました。
赤めのうは、ルベンと関連付けられていて、「息子を見よ」という意味です。神の栄光は、御子をとおして現されたので、父は、御子を見よと言われます。この方こそ父の栄光を現された偉大な方です。
エメラルドは、レビと関連付けられていて、「結びつく」という意味です。これは、ヤコブとレアを結びつけることを言っています。それは、虹の輝きとして放たれた栄光です。虹は、ノアの時代の洪水の時に、さばきを止めるしるしとして与えられたものです。イエス様の贖いの業を表しています。神の栄光は、その贖いの業によって、人を神と結びつけることで栄光を現しておられます。
出エジプト記
28:17 その中に宝石をはめ込み四列にする。第一列は赤めのう、トパーズ、エメラルド。
28:18 第二列はトルコ石、サファイア、ダイヤモンド。
28:19 第三列はヒヤシンス石、めのう、紫水晶。
28:20 第四列は緑柱石、縞めのう、碧玉。これらが金縁の細工の中にはめ込まれる。
28:21 これらの宝石はイスラエルの息子たちの名にちなむもので、彼らの名にしたがい十二個でなければならない。それらは印章のように、それぞれに名が彫られ、十二部族を表す。
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4:4 また、御座の周りには二十四の座があった。これらの座には、白い衣をまとい、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老たちが座っていた。
御座の周りには、二十四の座があり、二十四人の長老が座っていました。彼らの白い衣は、彼らの聖い行いです。金の冠は、義の行いに対する栄誉を表しています。長老は、霊的成熟を表しています。二十四は、十の二倍と四です。十は、到達することを意味する完全さを表し、二は、その証しです。四は、あまねくことを表し、あらゆる点において完全とされたことを表しています。彼らは、神の御座の周りにいて、神の栄光を証ししています。なぜならば、罪人である彼らを変え、その聖い行いにより、御心を行うことでもたらされる完全さをあらゆる点で証しする者となったからです。その働きは、主イエス様によります。それを図られたのは、父なる神様です。それで、その人を通して主イエス様の栄光が現され、父なる神様に栄光が帰されるのです。
なお、長老たちと御使いとの違いは、御使いは、しもべとして御心を当然行う者とされています。行いに対する評価を受けるのは人です。
4:5 御座からは稲妻がひらめき、声と雷鳴がとどろいていた。御座の前では、火のついた七つのともしびが燃えていた。神の七つの御霊である。
稲妻は、神がさばきをされる時に比喩として示されています。稲妻と雷鳴が示されているのは、神の裁きの発動であることを表しています。
七つの灯火は、神の七つの御霊で、満たす意味での完全さを表しています。それは、燃える火として示されていますが、火は、評価を表しています。イエス様の目について、燃える炎の目として示されていますが、全てを見通して評価されることを表してます。この火は、全てのことを評価されることを表しています。その意味で完全なのです。
黙示録
1:14 その頭と髪は白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は燃える炎のようであった。
2:18 また、ティアティラにある教会の御使いに書き送れ。『燃える炎のような目を持ち、その足は光り輝く真鍮のような神の子が、こう言われる──。
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4:6 御座の前は、水晶に似た、ガラスの海のようであった。そして、御座のあたり、御座の周りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。
水晶に似たガラスの海は、混じり気がないことを表しています。水晶は、結晶で、分子の規則正しい配列で構成されていて、生成の時に他の物が混じらないので、透き通っています。
海は、量が多いことを表しています。物理的に言うならば、広い範囲が透き通った硝子でできているのです。神の前には、何一つ混じり気がないことを表しています。
御座の周りの四つの生き物は、目で満ちていました。御座の周りにいて、神の栄光を現しています。目は、聖霊の比喩です。
黙示録
5:6 また私は、御座と四つの生き物の真ん中、長老たちの真ん中に、屠られた姿で子羊が立っているのを見た。それは七つの角と七つの目を持っていた。その目は、全地に遣わされた神の七つの御霊であった。
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4:7 第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は飛んでいる鷲のようであった。
第一の生き物は、獅子のようです。これは、ユダ族の王としてのイエス様を表しています。ダビデの根と言われているように、契約を実現した方です。それは、人としてのイエス様をとおして実現したことを表しています。
黙示録
5:5 すると、長老の一人が私に言った。「泣いてはいけません。ご覧なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利したので、彼がその巻物を開き、七つの封印を解くことができます。」
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第二の生き物は雄牛のようです。雄牛は、しもべを表しています。イエス様は、神様に服従し、神の御心を完全に行われて栄光を現されました。
第三の生き物は、人のようでした。この方は、人となられたことを表しています。
第四の生き物は、飛んでいる鷲のようです。それが飛んでいると形容されることで、天に属している者すなわち神であることが強調されています。
四つの生き物は、イエス様の栄光の四つの面を表しています。目で満ちていたことは、その栄光が聖霊の満たしによって現されたことを表しています。そのイエス様の栄光は、父の御心を行うことを通して現されたのであり、神の栄光の現れとなったのです。
4:8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りと内側は目で満ちていた。そして、昼も夜も休みなく言い続けていた。「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者。昔おられ、今もおられ、やがて来られる方。」
また、四つの生き物の六つの翼は、その数によって人を表しています。翼によって天に属する者すなわち神を表しています。人となられて、独り子の御子の栄光を現された方です。
4:9 また、これらの生き物が栄光と誉れと感謝を、御座に着いて世々限りなく生きておられる方にささげるとき、
4:10 二十四人の長老たちは、御座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝した。また、自分たちの冠を御座の前に投げ出して言った。
四つの生き物は、御座に着いておられる方に栄光と誉と感謝を捧げました。この方は、世々限りなく生きておられる方です。その方に栄光を帰す者は、生きものすなわち生きている者です。神の前にそれを捧げるにふさわしい者であるのです。
長老たちの冠は、長老たちの業に対する誉れとして与えられています。同様に、イエス様の金の冠は、義の行いをした方として栄光を受けていることを表しています。
長老たちが冠を投げ出した理由は、神こそ栄光を受けるにふさわしい方であり、彼らは、栄光をけているけれども、それは、神の業であり、神の栄光の現れであるからです。全てのことは、神の業であり、その業ゆえに神が栄光を受けるべきなのです。
4:11 「主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、それらは存在し、また創造されたのです。」
創造者としての神が栄光、誉れ、力を受けるにふさわしいと賛美されています。天地創造は、神の業であり、それによって神が受けるにふさわしいものです。
一、栄光
これは、他者の存在に関係なく、神が持っておられる価値の偉大さです。
二、誉れ
これは、評価や名誉のことで、他者から受けるもの。これは、「受ける」と表現するのが適切です。
三、力
成し遂げる力
これは、他者の存在に関係なく、神が持っておられるものです。
ここでは、これらを「受けるにふさわしい」と歌われています。この「受ける」ということは、もともと持っておられるものに関して使われていて、初めて与えられるという意味ではありません。特に、力を受けるというのは、力をその時受けるのではなく、初めから持ってて、天地創造によってそれが現されたことに対して、他者がその力を認め、その力の偉大さを褒め称える事を言っていて、力に関して賛美を受けることです。